
「続きを書く」と書いてから2か月経ってしまいました。ようやくこの「パエージャ」シリーズの締めです。
さてパエージャの起源は、wikipediaでは「9世紀以降ムスリムによって」と書かれています。確かに始まりとなる料理はそこに見られるかもしれませんが、現在の形になったのは19世紀で、パエージャはバレンシア州にあるイベリア半島最大の自然湖、アルブフェラ湖周辺で生まれたといわれる比較的「新しい伝統料理」です。日本でいうと江戸前寿司の歴史と似ています。
パエージャはカタルーニャ語で「フライパン」の意味です。
なぜ「バレンシア語」ではないのか。アラゴン・カタルーニャ連合王国がレコンキスタ(国土回復運動)の際、現バレンシア自治州の地域をイスラム教徒から奪回し、1237年にバレンシア王国を建国。内陸部をアラゴンが、海岸部をカタルーニャがそれぞれ支配し、それと同時に言語も根付き、カタルーニャ語の「フライパン」という言葉が使われた、という経緯があります。
現在も「バレンシア語」という言葉自体が独自の言語ではなく、カタルーニャ語の一方言という位置付けです。が、バレンシアの人はそれを非常に嫌がります。バレンシア州は中央政府寄り、よってカタルーニャ州とは犬猿の仲なのです。
もっと小さなことで言えば「パエージャに玉ねぎを入れるのか?入れないのか?」ということでさえ、バレンシア州とカタルーニャ州の喧嘩に発展します(書くときりがないので割愛しますが)。
前回の投稿でも書きましたが、スペインはそこかしこにこのような「火種」がゴロゴロと転がっています。さすがスペインの批評家サルバドール・デ・マダリアガをして「ヨーロッパの縮図」であると言わしめたイベリア半島です。
閑話休題、通常日本で「パエリア」と聞けば海老や貝などシーフードを具材にしたものを想像される方が多いかと思います。しかし「paella」とだけ言えば「ウサギ肉」と「カタツムリ」、それに「garrafon」「ferraura」「tabella」などの豆やインゲン類を具材にしたものを指し(鶏肉が入ることもあります)、シーフードのパエージャは「paella de mariscos(魚介のパエージャ)」と呼ばれます。海産物豊かな日本なのでシーフードのパエージャが一般的な「パエリア」になったのでしょう。
米は「ボンバ」と呼ばれる品種を使います。
米には2種類のアミロースとアミロペクチンというデンプン分子があり、「ジャポニカ」といわれる日本の多くの品種はアミロペクチンの含有量が多く、炊くと水分を保ったまま艶と粘りが出て、そのままでも美味しい「ごはん」になります。もう一方のアジアイネの亜種とされる「インディカ」は長粒種でありアミロースの含有量が多く、調理に使うとパラパラとした仕上がりになるのが特徴です(一般的に「タイ米」と呼ばれることが多い)。
これも余談ですが日本の一般的な米「うるち米」はアミロース含量が15~20%です(「ミルキークイーン」などそれよりも含量が低いものもあります)。この割合が美味しいごはんを生み出します。そしてもうひとつの日本の米である「もち米」はアミロース含量が0%です。これがその名の通り、もちもち感が出る理由です。
ボンバ米はアミロースを多く含みますが、ジャポニカのように短粒種であるという米です。柔らかくするのには一般的な日本の米よりも水分が必要ですが、可食状態になっても粒立ちが良いため、まさに「パエージャ向き」の米と言えるでしょう。
しかしボンバ米はスペインでも高級米なので日本で買うとさらに高いというのが難点です。加えて私の以前のお店のコンセプトは「和食材×スペイン料理」でしたので、折角なら日本のお米を使いたいと思い、現在でも日本米でパエージャを作っています。
前述の通り日本の米は比較的アミロース含量が低いのが特徴なのでパエージャ向きの米は少ないと言わざるを得ません。その中でも私は「北海道の米」を使ってきました。実はアミロース含量は気温との相関が強く、出穂後40日間の平均気温が低いほどアミロース含量が高くなる傾向があります(アミロース含量を決定するワキシー遺伝子の働きが低温ほど強くなるため)。よって「北海道の米」を選択してきたわけです。
ずいぶん前に「北海道の米は安くて美味しくない」という悪評が立ったのは、アミロース含量が高い北海道の米は炊飯器でふっくら炊けない、ということが原因でした。そこは現在改善され、北海道でも低アミロースの米が作られ、北海道は米の一大産地となっています。
それとは別の路線で北海道では「大地の星」に代表されるようなアミロース含量が高めの米も作られています。そういう拘りが日本の食文化の良いところだなと改めて思います。
もう一つパエージャで忘れてはいけないものが「サフラン」です。サフランというアヤメ科の花のめしべを乾燥させた世界一高価なスパイスで、1g作るのに160本もの花が必要とされ、摘み取った花から雌しべの先端部である柱頭のみを切り取る作業は全て人の手で行っています。独特の香りと黄色の呈色が特徴で、パエージャたる所以はサフランを使うといっても過言ではないでしょう。
スペインのサフラン生産量は実は世界の0.5%程度です。しかし輸出量は世界の70%です。謎ですよね、この無理な数字。これは世界の生産量の85%を占めるイラン産のサフランの約半量を輸入し、小分けして価格を上乗せしてスペイン産として輸出することで表れている数字です(これが合法なのかどうかはわかりません)。よって私が使うのは当然イラン産です。
サフランはISOが定める分析試験によって、クロシン(着色力)、ピクロクロシン(風味)、サフラナル(香り)の3種の成分が数値化され、等級が決められています。私が使用しているものはイラン産の「sargol(サルゴル)」という最上級のものです。
サフランは水溶性であり、しかも水分に浸ければ浸ける程成分が抽出されるので事前の浸水作業は必須です。一晩、さらに言えば24時間浸水させればサフランのポテンシャルを引き出せます。
そのサフラン水にカルド(出汁)、ソフリート、ピカーダを加えてスープを作り、パエージャパンで米と合わせて作っていく、、という「パエージャ1」に戻ります。
3回にわたって書いてきましたが、パエージャという料理ひとつでもこれだけの情報量があります。さらには正確な知識が無く書けませんでしたが、これに「熱の化学」も加わってきます。料理は本当に大変です。だからやめられません。
またいつかひとつの料理をピックアップして深く潜ってみたいと思っています。時間がある時に。